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「沈黙−サイレンス−」鑑賞日記

 

「沈黙−サイレンス−」

マーティン・スコセッシ監督

遠藤周作 原作

鑑賞しました。

 

キリスト教が迫害されていた江戸時代初期を舞台に、布教にやってきたポルトガル人神父が棄教を迫られ葛藤する姿を描いた作品。

 

迫害されながらも隠れてキリスト教を信仰している人たちの悲惨な環境、棄教させるために幕府が繰り出してくる精神的な拷問の数々、極限まで追い込まれた環境でも沈黙を貫く神

 

辛いこと悲しいことがあっても神を信仰し続けるのはなぜか

 

神を信じることで、現世と死後のそれぞれの世界で救いを得ることができる

現世においては苦痛は試練であり、耐え忍ぶことで来世や死後の極楽で報われる

信じていれば死んでも極楽や天国が待っており、幸せな生活を送ることができる

 

そうして今の生活の苦労を肯定し、死への恐怖をなくすことで、精神的救いを得ることができる

それが信仰

 

しかし本作では、信仰そのものが人を苦しめることがあったならば、本当に信仰を続ける意味はあるのか、ということを主人公に問いかける

 

どんな辛いことがあっても神がいれば耐えられる、信じていれば苦痛から解放される

そう信じていたものが、その信仰ゆえに苦痛に晒される

 

しかもその苦痛は自分でなく、他人に向けられる

信じ続ければ、苦痛の末に死んだとしても、死後の世界で救われる

さらには自分の苦痛が人々を救うことになる

自分が拷問されるのなら、そう考えて耐えられるかもしれない

 

しかし自分の信仰ゆえに、他人が苦しむことになる

人々を救うために信仰を広めようとしていたのに、逆に人々を苦しめることになる

神の存在自体が人を苦しめるのであれば、神の存在意義とは何なのか

 

信仰とは、神とは、幸せとは、救いとは

 

そんなことを考えさせられる映画

 

キャストの演技も素晴らしいので、一見の価値ありだと思います。

 

個人的にはモキチのシーンで主人公が泣いているところに胸打たれました。

人が泣いてるの見るとつられてしまいがち。。

 

私個人は特定宗教を信仰していませんが、宗教全般に興味はあるので、テーマが非常に面白かったです。

 

アマゾンのコメント欄には、当時の幕府の描き方が事実と違うというようなコメントが何件かあったので、実際に江戸幕府キリスト教をどう扱ったのかも派生して勉強してみようと思います。

 

ただフィクション映画の楽しみ方は、事実と照らし合わせるよりも、その主題から何を感じ考えるかなので、どうあれ良い映画ではあるでしょう。